“大丈夫?”
松本純氏が亡くなってから、家族などからそう声をかけられると冒頭話した山本信夫氏。
薬剤師の職能団体のメンバーと、政治家というそれぞれの立場を含めて40年以上親交があった。東京薬科大学の同窓でもあり、立場を越えて“友人”でもあった。
「すっぽりと何かが抜け落ちてしまったよう。パソコンに向かって文字は読んでいてもぼうっとしている」と明かした。それだけ松本氏との関係性は深かった。「今にも“今日の夜は何してる?”と電話がかかってきそうだ」(山本氏)と話した。
薬剤師会としての関わりとしては、「医療の中に薬剤師の存在が抜け落ちないような環境を作ってくださった、それは大きい」と振り返る。
「薬剤師が社会的に医療の中で無視されないような、仕組み上はもちろん薬剤師は組み込まれているが、実態としてどうやっていくのか、そこにかなりのことをやってくださった」と語る。
松本氏が診療報酬改定の過程においても大きな存在であったことは周知のことだが、表からはそれが見えづらいところもあった。
「何も言わなくても考えていることが(お互いに)わかった。今思えば、そういう(間柄の)中でやってしまっていたことがあったかもしれないと私自身は思うが、松本先生は後進にも伝えようとご努力されていた。ただ、松本純氏の代わりは松本純氏しかいないのも事実だった」と回顧する。周囲からは「あの二人の関係性があったから成し得たことが数多い」との声も多い。
「最後にお会いしたのは」「最後に交わした言葉は」と、記者から最期に近い時期のことに話が振られると、山本氏は最初、言葉を濁した。まだ訃報から日が浅く、思い出すことがつらかったのかもしれない。
話し始めてから時間が経ってくるにつれ、病床でのことにも話が及んだ。
病床での松本氏は「自慢の杖」を持っていたという。
聞くと、麻生太郎氏から「この杖をついて退院しろ」と贈られたものとのことだった。松本氏は嬉しそうにベッドでも杖を握っていたという。
そして、最後の最後まで「社会保障…」、そう松本氏は山本氏に話しかけていたという。
「これからの社会保障のことをとても心配していた。医薬品のこと、製薬企業のこと、卸のこと、薬剤師のこと、医療業界・医薬品業界のことを最後まで気にしていた。まだやらなければいけないと思っていたことが数多かったことと思う。そう思うと、無念だったと思う。不世出、稀有な政治家だった」(山本氏)。
特に山本氏が松本氏に対して感じていたというのが「人との距離の取り方」という。「メディアに対してもそうだったと思うが、人との距離の取り方が上手い方だった。ベタベタもしないし、ツンともしない。こちらも自然と適切な距離を保たなければとなった」(山本氏)。
「杖もそうだけれど、帽子も買って退院するとお話しされていた。最後までおしゃれでカッコいい人だった」(山本氏)。
松本純氏との思い出を振り返る山本信夫氏(前・日本薬剤師会会長)